よろず無駄無し屋

妖しい空気と魅力が漂うブログ

物にも魂が宿るのか?という問答。

今日は親しい友人から朝の7時に電話があり、事務所に迎えて遊ぶことにした。

二人で事務所の炬燵にもぐり込んで会話を楽しんだ。

 

その友人は古いマスタングという車を持っていて、それをすこぶる愛しているようだ。

文字通り、愛車である。古いだけあって、あっちが壊れ、こっちが壊れとするみたいで修理をするにも部品がなかなかないとかで大変みたい。

しかし彼はその古いマスタングという車を愛している。

いつかの誕生日に先輩からプレゼントされた物みたいである。プレゼントに車というのも、なかなか面白い。

そんな彼が炬燵にもぐり、話の中でこんなことを言う。

物にも魂が宿るということも聞くけれど、お前どう思う?

きっと彼は、そのマスタングという車に魂を感じたのだろう。こんなのは理屈ではない。

僕もそういう捉え方には共感が持てる。

 

前にも書いたことがあるが、うちの事務所には仏像が祀られている。


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現金を握って思惟する弥勒菩薩である。

仏像に金を握らせるとは不謹慎な!などという野暮なことは言わないでもらいたい。こちとら真面目にこの金を握ってもらっている。おちゃらけではない。

もうこの場所に安置されて3年目になる。

事務所に来る度に、その仏像の前で手を合わせ、念を入れてきた。はっきり言って今ではただならぬ雰囲気を醸し出すまでに育ってきている。これはあくまでも、自分の中では、ということね

べつに動いたり、喋りだしたりするわけではないけれど、最初はただの高さ67㎝、重さ20㎏の置物にしか感じなかったのが、そこで手を合わせ続けて3年目ともなると、なにか只の置物には思えなくなってきて、そこの前に座って手を合わせるという行為が、ある種の癒しというか浄化というか、メンタルサロンとでも言うべき効果を発揮しだした。

線香一本が燃え尽きるまでの約30分間仏像の前で、静かに座る。

これが僕の一番のストレス解消法だ。

そういう効果、魂を感じる、などというのは、愛の度合い継続年数がものをいうところで、ことわざで例えるならば、鰯の頭も信心からローマは一日にして成らず、というふうなのが、わりかし近い心情を表しているのではないかと思う。

うちの仏像は、すでに物という存在を通り越して、相棒であり、話相手でもあり、ヒーラーでもある大事な存在だ。大事に思ってるし、している。

炬燵の向こうの友人にとっては、そのマスタングが、僕で言う仏像のような存在に感じられているのだろうと、思いながら、最初の問いに、

当たり前に宿るもんなんじゃないですか?」と、答えると

だよね(笑)」と、彼は満足そうな表情を見せた。

 

短いながらも、実りのあるやりとりだったと思っている。

物にも魂は宿る。そういう見方もありだろう。