よろず無駄無し屋

妖しい空気と魅力が漂うブログ

昭和生まれのシーラカンスは先祖に感謝の日々を過ごす

 

煙草をね、ぷかぁ~っと吹かしながらね、お気に入りの音楽を流しながらさ、熱いアール グレイでも飲みながらだね、こうしてブログで好きなことを書く。昼間からのんびりと。

 

こんな幸せなことってほかにもあるけどね、自分はこれ以上は別に望まないよ。

 

なんだろね、体に入れ墨とか入っちゃってて銭湯なんかも行けないし夏でも長袖じゃないと世間の目は冷たいけどさ、こうして自室で楽しんでる分には誰にも迷惑かけないし自分はこれで充分幸せだからいいんだよ、今回の人生はこれでさ。

 

いや、本当に人生なんてどうなるかわからないもんだよ。

20年前の自分にはとても想像できなかった未来が今こうして現実として目の前にある。

感謝

これに尽きるね。

ありがたいよ、こういう環境になるまでには色々とあったけどもね、そういう色々も今となってはここに辿り着くまでの道だったわけだからさ、必要だったんだろうね、自分には。

 

神様をこれまでにアテにしたことはないけどさ、感謝はしてもいいと思ってる。

でもまぁそれよりも両親やご先祖様にまずは感謝したいと思ってるね

持って生まれたものは全て先祖からのプレゼントだよ。

 

ありがたや  先祖代々  継ぐ力

なんて川柳の一句でもでも吐いてみたくもなるわな。

 

今や絶滅危惧種であるヤンキーという人種であった自分。

昨日のニュースを見てたら自分の住んでる広島県内では暴走族のグループは4年前に0になったらしい。

絶滅危惧じゃなくて絶滅したようだ。

これは社会的には喜ばしいことだ。

しかしかつてはそういう世界に身をおいた者からしたら少し寂しい気持ちがしないでもない。

ああいう世界でも学びはあったからね、別に庇護するわけではないけれど。

筋の通し方や上下関係、礼儀というものは後にすこぶる役に立ったのは紛れもない事実だよ。

大学出で勉強はできるけど世間というもんを知らないような奴には負けたことがない。

下手な立ち回りをすれば拳が飛んでくるような環境で生きてれば、嫌でも身につくものがあるのよ。

ハッキリ言ってその厳しさと来たら禅寺の永平寺での修行にも引けをとらないんじゃないかとさえ思ったりもするよ。

永平寺に実際行ったことないから知らんけど。

 

まあ、とにかく鍛えられたということだ。

平成になってやれモラハラだとかパワハラだとかいうある面から見たらぬるいことを言うようになってもう久しいがね、小学校の先生に拳で教育されてきた昭和生まれとしては信じられない展開だよ。

ゲンコツがどのような面から見ても悪であるという理論は成り立たないね。

だって現に自分はゲンコツによって鍛えられてきたんだから。

忍耐とか辛抱とかも死語になりつつあるみたいだけれどね、必要だよ、実際ね。

人の相談事を受けるようになって思うことが、悩みのほとんどは精神力の弱さからくるものなんだよね。

人間は痛い目に合わないと学べないし鍛えられないようにできている気さえしてくるよ。

痛い目に合いたくないならば、その前に学べばいいだけのことなんだけど、それができない。

これが世の中の、人間の真実だよ。

 

アスリートが早く走る為には筋力をつけないといけない。

筋力をつけようと思えば自分の体をイジメなければならない。

そうすることでフィジカルは強くなってゆく。

メンタルも同じだよ。

つよくなりたければね、楽を選んじゃ駄目ね。

つよくなりたければの話だよ?

それが無理な人はメンタルが弱くても成り立つ世界を探すしかないけども、あるんかな、そういう世界って自分は疑問だ。

 

まぁ令和という新たな時代が幕を開けるようなんでどうなるかわからんけどね、昭和生まれのシーラカンスとなりつつある自分からしたら、理想郷を求めてさまようよりも、この地獄の餓鬼道を生き抜く為の強さ、順応性を身につけるほうのが無難だと思うわけなんだよな。

 

まぁいいんだよ、他人がどう生きようとさ。

自分には関係のないことだから。

甘えるのも甘やかすのも好きじゃないだけの話でこれはただの数多くある考え方のなかの一つにしか過ぎないからさ。

 

今日は自分の17の頃の乗り物を載せとくよ。

これでも当時は格好いいと思ってたんだよね。

実は今でも格好いいと思ってる、塗装とか、全体のバランスとかさ。

懐かしいよ、迷惑かけてたなぁ、本当に。

死ぬまでにはプラスマイナスゼロにして去りたいね(笑)


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