よろず無駄無し屋

妖しい空気と魅力が漂うブログ

あるがまま、思うがままに楽しく書こう、文章は。

 

 

 春の天気の良い午前中ののどかな時間にこうして自室でブログを書けることは幸せである。

 

何を書こうかというのは悩みではなく楽しみだ。

子供の頃に100円玉を一枚握りしめて駄菓子屋に目移りするほどに並べられたお菓子を吟味していた時のあの気持ちに近い。

色々と書きたい、今日はどれにしよう、というような感じ。

 

書くことを楽しむのはブログを運営していく上での基本中の基本だと思ってやっている。

この基本は別にブログに限ったことではなく、全てにおいて言えることではなかろうか。

 

楽しいという感情は素晴らしい。

積極的になれるし疲れを知らない。

 

何気ない一文にさえ趣向を凝らしたものにしようという意欲は、楽しいという感情が土台にないとなかなかその実を結ばないように感じる。

好きこそもののじょうずなれ、なんだろうね、結局。

 

絵描きの友人は朝起きたら何をさしおいても絵を描きたいという衝動にかられるらしい。

絵心のない自分にはその友人の描いた絵が上手なのか下手なのかを判断できないが、少なくとも細部にわたってすこぶる丁寧に描き込んでいるようには感じることができる。

楽しいんだろうなぁ、と思うわけなのである。

 

自分の友人には仕事が好きな人間が多い。

たまに会って話をするのでも、良い刺激になる。

楽しんでる人を見るとこっちまで楽しくなってくるという点において彼らは意図せずとも他人の為になっているのである。

もっともっと楽しんで繁栄していってもらいたい。

 

そういうことを考えると自分もこうして日々文章を書いているわけだが、その楽しさを文中に注ぎ込んで、読んでくれた人を少しでも楽しい気持ちにさせたいとなる。

なので自分が楽しむという自己中心的な思考を妥協なく突き進めていくことに集中したい。

楽しいを伝染させていければ良いと思っている。

 

文章を書いて何が楽しいかと言えば、自分の気持ちを的確に、明確に表現できた時の達成感、爽快感がいちばんだ。

そこから余裕があれば遊び心を加えて文章を肉付けしていくことも、これは女の人がメイクがバッチリ決まってよっしゃとなる感覚に近いんじゃないかと勝手に想像したりもする。

 

これは好みの問題であるが、ただの事実だけの説明文だと同じ書くのでも気分は乗らない。

どちらかと言えば面倒だとさえ思くらいのものだ。

自分を殺した文章ならば書くのは自分でなくともよいではないかとなる。

 

個性の感じないブログは読んでても楽しくない。

それぞれが持つ人間味が発揮されてこそ書き手も読み手も楽しめるんじゃないかとの考えをこのブログに対して自分は持っている。

だからたとえば愚かな行動をカミングアウトするような文章に出会ったりすると、その人の臭気が文章を通じてプ~ンと漂ってくるような感じがして、人間が書いたもんなんだと安心する。

 

人間は良い香りも好きだが臭い匂いもまた嫌いじゃないところがある。

ことの善悪、正否なんてここじゃどうでもいいことだ。

文章は楽しみながらその人間臭さを周囲に撒き散らすくらいの勢いでただあるがまま、思うがままに書いてゆきたいね。