よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

待つということについての話なんだけどさ

 

言葉が浮かんでくる時というのは、書こうと思った時ではない。

 

自分は身勝手でわがままな人間であるが、どうやら言葉まで身勝手わがままであるらしい。

 

浮かんでくるのを待つしかない。

 

書こうと思って書き始めるまでに一時間も白紙のまま座っていることなんてザラである。

 

浮かんでくるまで待つ時間があるというのは幸せなことだ。

 

 

待つ

ということについて書いてみることに決定したようなので、そのように話を進めていきたいと思う。

 

 

元来、気が短いほうなので待つ、という受け身な姿勢を好んでいなかった。

好んでいなかった、というよりも、待つということをできるスキルが身についていなかった、といったほうのが適切な気がする。

 

しかしねぇ。待つことって大事なんだよね。

 

人事を尽くして天命を待つ

 

って言葉があるけども、まったくその通りって思うのよ、今となっては。

バナナが熟成するのも待つしかないわけだから、待つしかないこともあるわけよ。

 

急いては事を仕損じる

 

っていうからね。

 

そういったことに気づいてからは、何事も適切なタイミングがやって来るまで待つことにするようになった。

 

回転寿司屋へもこれでいける、と思ったね。

回ってくる寿司さえ待てない短気はもう病的でさえあったよ。

 

ほんでも待つということを覚えてからはね、いろいろと物事が好転していったんだよね。

 

残り物には福がある的余裕も生まれてきておめでたいことこの上なかった。

 

今ではなんにしても無理に手を伸ばすことはせずに、待って自然と自分の手の上に乗ってくるものだけで人生を切り盛りしてるが、何不自由することもなく、すこぶる充実した日々を送れているからおもしろい。

 

自分にとって動くことは簡単だった。

動かないことのが難しかった。

 

それは人によっては逆のこともあるだろうし、どちらも難しいというような少し人生を真面目に考えたほうが良さそうなのもいれば、稀にどちらも簡単なことだよ、というようなハイクオリティなスキルを持つ人間もいることだろう。

 

動かざること山のごとし。

 

まぁなんだろうね、自分に足りない何かを今さら自分でどうにか補おうなんて気は更々ないが、本来自分にあるものは誇りを被ったままにせず、ダイヤの原石で終わらせることをせずに磨いて輝かせたいよね。

 

自分の場合はこの待つということを身につけたことで、自分の本来のポテンシャルを輝かせることができたように思っている。

 

本来の自分のポテンシャルの輝かせるにはどうすればいいのか?

 

と、いうことを考えてみる時間を少し持つことも大事だよね、という話になってしまったけれど、それはそれでよしとしよう。