よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

読み書き聞き喋り+思惟=人間

 

生まれて始めて小説を読んだのはたしか20年ほど前。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」全8巻だった。

 

内容の細かいところまでは覚えていないけれど、とにかく文章だけでここまで面白いとは、とビックリ仰天したものだった。

 

漫画と違って文字だけの小説には自由な想像が許される範囲が大きい。

そういうところに新鮮なものを感じて肉体的自由を奪われた牢屋の中で想像という精神的な自由を楽しんだものだった。

 

それから特に熱心な読書家になったということはないものの、活字に抵抗はなくなり、面白そうだな、というものは読んでみたりもした。

 

読書という行為から、ただ単に面白いだけにとどまらず、見識を広めるであったりとか、感受性を養うであったりとか、創造力を豊かにするといった言わば恩恵とでも言うべきものを享受したことによる人生の微妙な進路変更には、今となっては感謝している。

 

大なり小なり読書が自分の人生に何らかの影響を与えているのはたしかなことで、その影響というのも決して悪い方向に向いてはいない。

 

これは自分がそう感じているだけのことに過ぎないのかもしれないけれど、スマホやパソコンで読む文章よりも、本で読む文章の方のが、読んだという充実感を得ることができるし、記憶に残るような気がするので、これからいくらネット社会が進んでいこうとも、本という存在がなくならないかぎりは読書を続けていきたいと思っている。

 

そんな感じで読むことが楽しくなってくると、今度は書くことにも興味が出てくるのは別段不自然な流れでもなく、そういう自然な流れに乗っかって、今、こうしてblogを書くに至っているのであるが、そんなblog運営も早半年が経とうとしている中で、ようやく少しの余裕が生まれて来た。

 

読みと書き。

 

これは人間が持てる基本的かつ奥義的な能力であると自分は思っている。

更にこれに聞きと喋りが加わると、人間はなんとか生きてゆける。

 

(読み書き喋り聞き)+思惟=人間

 

と、いう見方もできるのではなかろうか。

 

そういった自身が定義する人間の、一級品を目指していこうとするのもこの人生ゲームの醍醐味の一つ。

 

ゴールなき目標を掲げてゆけるところまで、と、思っていればどこで終わろうが納得がいくような気がしている。

 

自分の実力でゆけるところまで、で、充分満足だ。

 

日々は修行、学び、時々快楽というスタンスでまぁどこまでゆけるかね。