よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

無理のない、は最善であって理想的。しかしこの世の中は…

 

朝の九時からblogを書き始めるという決まりが自然と出来上がってきた。

散歩を終えて朝食を済ませ、一服してから書き始めるという流れ。

自然とベストなところに落ち着いてゆくもんだと思った。

 

自然と、というのがなんだかんだいってもベストだろう、と自分は思っていて、このblogの継続も自然な感じで成り立っているから無理を感じない。

 

無理をするということを全否定することはできないし、場合によっては多少の無理も必要なことがあるように思ってはいても、基本的には無理のないのが一番である。

 

無理は続くと必ず悪い方向へと向かう。

かといって、無理をしないと打開できない局面というのがあるのも事実。

判断力が必要だね、なんでも。

 

なんだか最近は辛抱とか忍耐といった言葉が死語になってきてるみたいだからね、それはそれで頷けるところもあるんだけれど、辛抱や忍耐を養わないがゆえの事件というのも頻発してるような気がしないでもないね。

 

無理はずっとはいけないけれど、少しは辛抱も必要だよね。

辛抱してると無理が無理じゃなくなっちゃうこともあるしね。

 

このblogにしたって、たしかに楽しく無理なくやってはいるけれど、常に楽しいだけということでもないし、自分のイメージするところに辿り着くのには、辛抱も多少の無理も辞さない覚悟は必要だと思ってる。

 

 

イメージでいうとね、ドラゴンボールの悟空が使う「界王拳」的なね。

一瞬だけは無理をしてでもパワーを上げることでしかぶち破れない壁というのは時々現れるんだよね。

 

生きてると色々な壁にぶち当たるからさ。

そんな場面で無理はしないなんて悠長なことを言ってたら、壁は壁のまま、自分の前に立ちはだかったまま、そこで立ち尽くすか、引き返すかしかないわけだから。

 

瞬間の無理を押してでも突破すべき壁が現れた時には、その無理は無理ではなくて、ごく自然な流れだと捉えることに自分は賛成している。

 

そんな考えは、あくまでも前に進みたいという願望がある人に有効なものであって、今の場所に満足している人には無効なものであるとも言える。

 

 

どんな考えにでも、全くの間違いと言えるものはないわけだから、どう考えようと自由といえば自由なんだろうけども、好みという横の問題か、次元という縦の問題かというのはよく吟味しないといけないような気はする。

 

無理はいけないことだという考えは本当だし、無理も時には必要だという考えも、また本当だろうね。

 

どっちが正しいか、というのはその時々、状況で変わるものであるし、どっちが正しいかなんてのはそもそもないんだというのも正しいと言える。

 

 

まぁ要するに、無理はないのが最善だけれど、それは理想であって、現実には最善だけを選択することは至難の業であり、致し方なき選択をしなければならない時もあるのがこの世の中である、ということを言いたいわけだ。

 

白か黒かで全てが割り切れるのなら、人生なんて簡単なものなんだろうけどね…