よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

支離滅裂

 

朝から雨。

やっとこさ梅雨の到来か?

雨音が心地良い。

 

なんとなく、雨の日は読み書きに適しているような感じがする。

でもそんなことを書いちゃうといつもよりも良い記事を書かなくちゃ、なんてプレッシャーがかかってきちゃいそうなので早速前言撤回。

 

渾身の記事というものを書いてみたいが故にこうして毎日チャレンジしているのだけれども、なかなかどうして納得のいくものなんてそうは書けるもんじゃないことはここまで半年近く書いてきて痛感しているね。

 

何を以てして納得とするのかというところも漠然としているからね。

でもまぁ続いているということに対しては、順調に記事数が増えていっていることに対しては、小さな納得があることは確かであるな。

 

突き詰める、ということに終わりはないね。

まるで宇宙のようにね。

進んでも進んでも突き当たらない。

 

これはすごく魅力的なことだよ。

なにせ底が見えた途端に興味が失せてしまう厄介なタチであるもんでね。

できれば死ぬまでこのblogも底を自分に見せないで欲しいと思ってる。

 

しかしそういう心配は無用のことのように思ってもいる。

ものを書くという行為に底があるとしたら、それは自分自身の底であって、自らを深めてゆきさえしてれば、それは深さ無制限の世界となると睨んでいる。

 

言葉を深めていくということは、己を深めてゆくということじゃけえのぉ。

 

文章で方言を使うの面白い(笑)

 

たしかボクシングの広島県出身の竹原がblogの最後に

じゃあの

なんて方言を決めゼリフにしてちょっと面白かった記憶があるのよ。

 

今はどうか知らんけどね、2、30年前なんかはね、自分が住んでた土生という漁師町ではさ、小学生同士でもちょっと悪い冗談でも言おうものなら

「われ、ぶち殺すど」

なんて笑顔で言うてたけどね。

 

そんな言語が通常運転だった環境で育っちゃうと、口が悪くなるのも当たり前なことで、今でもその名残が自分にもあることに、あぁ、やっぱり自分は因島の土生の人間なんだ、という安心感を得るのである。

 

時代は常に流れ変わっていくので、今の若い人達は土生でもそんな感じではないのかもしれないけどね。

と、一応土生の名誉の為にもそう書いとくべきであろう。

もしかしたら、その昔も自分達の周囲だけのことだった可能性もあるしね。

 

はじめて入れ墨を突いたのは17の頃だったけども、そんなのも別に珍しいことでもなかったような環境だったからね。

様子のおかしい先輩やおじさんなんかがその辺にうようよしてたよ(笑)

異常だね、今から思うとね。

 

こうして自分の地元の過去をネタにして書いてみることができるのも、このblogの醍醐味として楽しむことにしてるよ。

 

 

ここまで書いてきて、もはや流れというものはこの文章には存在していないんじゃないか、ということに気づき始めている自分がいる。

 

支離滅裂。

 

いいね。嫌いじゃないよ、そんな感じ。


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