よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

善人はお馬鹿さん

 

この記事を投稿するかしないかは出来上がりを見て決めようと決めた。

 

blogにおいてくそ真面目なことを書いたとしてもそれはあまり意味のないことのように思ったりもするので、少し斜に構えてみたりおどけたパフォーマンスを披露してやろうかと思う。

 

ブラックジョークの類いだと思って目を通してもらえるとありがたい。誰かのためになんて押し付けがましい正当性を主張すること自体がすでに滑稽ですらあるように感じているもので、このような文章を書く時には、思いきり自分自身のストレス解消のために書くという方向に全力で舵を切ることを良しとする。

 

そうと決まれば話は早い。なにせ元からひねくれたところがあるというか、ひねくれてねじまがって途中で枯れてしまいそうになりながらもしぶとく生き残っているような人間だもんでね。特に悪ノリなんていうのは大の好物であり、もはやそれがアイデンティティであると言っても過言ではないすこぶる厄介な野郎だとの定評がある、ことに対して喜びを感じているという始末であったりもする。

 

時々自分が悪魔なんじゃないかと思うときがある。その反面、自分は天使なんじゃないかと錯覚してしまうような時もある。さて、どちらが本当の自分なのか?

 

答えはすでに出ている。どちらも本当の自分である。

 

世の中に清らかなだけの人間なんて存在しないと断言できる。清らかなお化粧を施した人間ならばチラホラ見る。そんなお化粧をお化粧と見ずに表面的なところだけで判断してるとね、例えばむちゃくちゃ可愛いじゃん!と思う女性とはじめて一晩を共にした翌朝に、横でムクッと起き上がってきたその彼女のスッピンの顔面を見てこう言ってはなんだが、少しショックを受けるような時の心境に近い現実をいつか思い知ることにもなりかねない。

 

だからね、若き日のそんな教訓を活かしてさ、いくら綺麗な女の人がいたとしてもね、「信じちゃ駄目だぞ?化けてるだけだ!」と、自分に言い聞かせときさえすれば、それがたとえピグモンのような素顔であったとしても狼狽えることもなければ、騙されたっ!なんて勝手な被害者意識を持たなくてすむじゃないかというわけだ。

 

要するに始めからどうせピグモンなんだ、と思っておけば後々女性に対して失礼な感情を持たないで済むということだ。「いや、ピグモンだと思うこと自体がそもそも失礼に当たるだろ」なんて主張はこの際無視してかまわないだろう。世の中には致し方なきこともあるもんだ。

 

ちなみにピグモンとはこういう感じの怪獣だ。


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ピグモンは、特撮テレビドラマ『ウルトラマン』をはじめとする「ウルトラシリーズ」に登場する架空の小型怪獣。別名は友好珍獣。英字表記はPIGMON。 『ウルトラマン』で初めて登場した人間に友好的な怪獣であり、後年ではマスコット的な扱いで登場することが多い。小学2年生程度の知能を持つとされる。 ウィキペディア 

 

 

おっと話がピグモンへと傾き始めたのでここらで進路を元に戻すとしよう。

なんだっけかな…そうそう、要するにね、人間には天使のような清らかな心も存在すれば、悪魔か鬼のような心も存在していて、それらが共存するのが人間の本質であって、どちらか一方だけというのは漫画の世界だけでの話であるということなんだ。

 

役者なんだよ、人間なんてものは皆。他人の心の中まで覗いてみることなんてできないし、覗く必要も権利もないしね。善人は少し悪人ぶったくらいのほうが難を逃れることができるだろうし、悪人は悪人で善人ぶることでなんとかこの社会において村八分にされることなく営めるということだと思うけどね、自分は。

 

自分は善人だ。だから世渡りにおいて損をしていると密かに思う人は悪人の化粧を施してみてはどうだろうか?善人と言われればなんだか馬鹿にされているような感じがするのは自分がひねくれているからだろうか?

 

いや、事実、善人は馬鹿である。世の中の現実というものをよく理解できていないお馬鹿さん。この国では儒教的道徳を美徳とする向きがあるようだがね、そんなのもケースバイケースくらいに思っておかないことには大変な間違いを起こしてしまうことになっちまうからね。

 

理想はね、理想として持っておくことに異論はないけどもね、理想だけでこの世の中を上手に歩いていけるほど甘いもんでもないんだよな。ケースバイケースでね、臨機応変にさ、鬼にも仏にもなれないと待っているのは残念な結果ということになっちゃうような気がしてならないよ、ひねくれ物の視点から見るとさ。

 

お馬鹿さんで結構、という人間には親しみが湧きはするけどあくまでも観賞用の人なんだよ。真剣勝負の場で手を組みたいとは思わない。だって生き残りたいからさ、それは理屈を越えた生物としての本能だよ。生き残るためには悪魔にだって鬼にだってなるよ。しかし、だからといって仮に自分のために死んでくれる人がいたとしてもそんなのは迷惑だ。自分が死ぬべき時には自分が死ねばいいわけで、誰かが代わりに死ぬことはない。余計なお世話を美談と捉えることができるほど自分はお花畑ではない。

 

なんていうかね、人間界といえども所詮は自然界の下部組織でしかないわけよ。その自然界は優しいだけでも綺麗なだけでもないわけじゃん?だから人間界においていくら綺麗なものだけを推奨しようとしたところでそれはちょっと無理があるんじゃないかって話なんだよね、ひねくれてるかな?

 

うん、そこそこ自分の言いたいことは表現できたような気がする。よし、この記事を投稿しよう。

blogはいいな。いい娯楽だよ。

 

ではまた。