よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

暑くアツい夏が終わった


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秋の夜長というものは、こうして文章を書くのに持ってこいな環境だな、なんて思いながら久方ぶりにこのブログにやって来た。

あれほど毎日書いてたこのブログも、なんかの拍子で書かなくなると、それはまるでタバコを止めて数週間ほど経った時に感じるニコチン中毒からの目覚めのような感じで、全く書かなくても平気になってしまうから人間というものは面白い。

しかしブログは煙草と違って、一旦始めると、止めることが良しとはならない。むしろ、「なんだ、アイツ。結局続かなかったんじゃないか、駄目な奴め」とのレッテルをはられるかどうかは知らんけども、とにかく、続けなければ結果、成果は全くもって期待できない代物なのであるような気がしている。

毎日書くのはハッキリ言って義務的というか、強迫観念に追い込まれるような感じがして、どうもやりづらい。かといって、まがりなりにも数ヵ月続けて、半ば習慣のようになっていたものを、全くしないというのも、なんだか違和感を覚える。これに関しても、仏教でいう中道、儒教でいう中庸的な精神が功を奏するということで、書きたくなった時に書くというのが結局、自分の場合は良いスタンスであることが判明したので、まぁよかった。なんでも自分にしっくりと来るものを探すのはある程度の時間が必要なんだと改めて実感したような気分になった今日この頃。

 

話は全く変わるけども、この夏はテキヤで焼そばを作っていた。昔からの知り合いのテキヤのおっちゃんから、人手が足りないからということで、この無駄無し屋にオファーが来た。20年ほど前にかき氷は売ったことがあった。でもそれとは全然違って、焼そばは過酷な商いだった。なにしろね、夏の野外と焼けた鉄板という組合わせがね、もう暑いのなんのって。軽い気持ちで引き受けたのをまぁまぁ後悔しつつも、やると言ったからにはやらないと、どうにもならないので、汗水たらしながらそばを焼きまくった。

これが意外とね、やってみるとたしかに暑いんだけども、アツくもあってね。自分が作ったものに対して行列ができて、次から次へと飛ぶように売れゆく様は、一種の快感となってきて、結果的には暑く、アツい営みとなって今年の夏を順風満帆なものにしてくれたというオチなんだけども、やっぱりあれだね、隣でフランクフルトとか売ってたけども、焼そばのあの匂いには集客という面で到底敵わない感じだったね。

 

行列が一旦出来はじめると、それは祭りが終わるまで途切れないのよ。そうなると、大勢の人の目の前で作らないといけない状況になっちまう。これはね、もうライブだね。パフォーマンス。こんな不寛容なご時世だもんでね、下手なことはできないのよ。だからその緊張感はステージに上がってマイクを握るアーティストのそれと同じような感覚。

それすらも始めは「これはやりづれぇ」ってな感じだったんんだけども、慣れてくると、快感になるんだよなぁ、これが。なんか良かった、自分、こんな気質でってつくづく思ったよね。

まぁそんな感じで今年の夏はなかなか忙しく楽しんだということで、それが一段落した秋からはまたぼちぼち書いていくことにしようと思ってはいる。つまらん駄文をね。