よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

音の味わい方の一つ


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こんにちは、無駄無し屋です。

本日もなんとか読める文章を書いていこうと思います。

 

音楽を流しながらブログを書くのが好きです。できれば歌の入っていない楽器の演奏が良いですね。今も聴きながら書いてます。胡弓という、こういうのを弦楽器というのですかね、知識がないので呼称などはよくわからないのですけども、とにかく、要するに本体は三味線に似た風体で、その本体に付いている弦に、今度はバイオリンを引く時に使用するあの道具に近しい物で弦と弦を擦らせて音を奏でるのです。

 

これがなんとも言えない素晴らしい音で、それがどう素晴らしいのかと言えば、端的に申しますとキュッと引き締まった感じのしなやかで伸びのある、どこか哀愁を帯びた落ち着いた音、というところに素晴らしさを感じています。

 

音楽には体にも心にも動きを促す作用があるように感じます。これはなんでしょうねぇ、言ってみれば人間の本能に鼓膜を通して訴えかける、目には見えないが耳でその存在を聴き認める合法なドーピングとでも言いましょうか…、目には見えないが存在するなどという表現を使うとなんだかオカルトじみた感じになるのですが、そう言った意味では音はオカルトと言っても良いのではないでしょうか。

 

リズムよく動きたい時、皆で騒ぎたい時、一人でしんみりしたい時、二人で愛を語り合いたい時、などとそのシチュエーションに応じた最高の音を探し出すという営みは、それ自体が良い趣味であり、人生が豊かになることはあっても、荒んでいくことはほとんどといっていいほどないのではないでしょうか。

 

音を楽しむと書いて音楽という名がついておりますが、個人的な意見としましては、楽しむというよりかは、味わうという表現を用いたほうのがしっくりとくるのです。まあ、そのようなことはどうでもよろしいことなのでありますが、とにかく、音楽、と言いますか、音には物凄い力や栄養素が含まれていることは、私が感じるところにおきましては確かなことのように思います。

 

CDが一通り音を流して止まってしまいました。リピートにはしていません。諸行無常に価値や美しさを感じます。終わってしまったものを受け入れ、その余韻で心を潤わせるという味わい方もまたありなのではないでしょうか。